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130余年の歴史を受け継ぐ富士屋ホテル。 その長い歴史には、いくつもの様々なドラマがありました。そんな富士屋ホテルの歴史を少し、ご紹介いたします。
明治11年(1878年)7月15日、日本で初めての本格的なリゾートホテルとして開業しました。 外国人を対象としたホテルを目指し、外国人客専用のホテルであった時代や、戦後の進駐軍による接収時代を経験した富士屋ホテルには、外国人向けの様々な工夫が施されています。 ヘレンケラー氏やチャーリー・チャップリン氏をはじめ、多くの著名人にも愛されてきました。 宮ノ下大火や関東大震災など幾多の災害に見舞われたこともありましたが、今も変わらず、ここ宮ノ下の地でたくさんのお客様をお迎えしております。
明治11年、創業当時の富士屋ホテル。
明治11年(1878年)7月15日、日本で始めての本格的なリゾートホテルとして開業しました。 多くの方が、ホテルの名前を聞いて最初に思い浮かぶのが「富士山」でしょう。残念ながら、ホテルから富士山を見ることは出来ません。しかし、富士山が外国人にとっての美の象徴であることを受け、かつてこの地で500年もの歴史を持っていた温泉旅館「藤屋」の名前をもとに「富士屋ホテル」と名付けられました。 明治16年の宮ノ下大火により、ホテルの原形とともに、6年間の記録も失われました。 しかしその1年後には見事に復興を果たし、今も変わらず、箱根に流れる時を見守り続けています。
明治39年に竣工となった「西洋館」
明治26年(1893年)、富士屋ホテルは「外国人客専用のホテル」となりました。 江戸時代から宮ノ下にあった老舗旅館「奈良屋旅館」との間で、奈良屋旅館は日本人客専用、富士屋ホテルは外国人専用の宿泊施設とする協定を締結し、ライバル関係に終止符を打ったのです。 この時から大正元年(1912年)まで協定は続き、富士屋ホテルは多くの外国人客で賑わいました。 洋風のお部屋で現在も人気のある「西洋館」も明治39年(1906年)に竣工しました。
カスケードルームでの舞踏会の様子
第二次世界大戦終戦後の昭和20年(1945年)10月20日、進駐軍により富士屋ホテルは接収され、以後一般営業を停止することとなりました。 その間は窮屈な思いはあったにせよ、進駐軍の衛生管理や防火体制の徹底を学んだことなど、その後の経営にプラスとなる面もあったようです。 また、カスケードルームでは毎晩のように舞踏会も行われていました。 昭和29年(1954年)、米軍への施設貸与が6月末で終了し、7月6日をもって一般営業を再開させました。この日から、富士屋ホテルの新たな一歩の幕開けとなりました。
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